B-29来襲の報を受け、厚木基地から飛び上がる戦闘機。
その名は、三菱 局地戦闘機「雷電」。連合軍コードネーム「JACK」。
雷電は、敵爆撃機を迎え撃つため、速度・上昇力・火力を重視して開発された日本海軍の局地戦闘機でした。
本動画では、十四試局地戦闘機J2M1から、実戦の中心となった雷電二一型J2M3、視界改善型のJ2M6、そして高高度性能を強化したJ2M5まで、残された貴重な白黒写真をカラー化しながら、その開発と実戦配備を追います。
厚木基地の第302海軍航空隊。
大村基地の第352海軍航空隊。
胴体に描かれた黄色い電光マーク。
地図を囲む搭乗員たち。
富士山を背に飛ぶ雷電。
そして、B-29迎撃を想定して改良され続けた最後の姿。
雷電は、本土防空に必要とされた迎撃機として、どこまで完成していたのか。
そして、なぜ十分な力を発揮する前に終戦を迎えたのか。
80年前の写真に残された機体と人々の姿から、雷電の物語をたどります。
※カラー化画像は、原写真・写真キャプション・当時の塗装例などを参考に再現したイメージを含みます。
VOICEVOX:青山龍星
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@DIY123wings
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雷電は「開発が遅れた惜しい機体」だったと思いますか?
それとも、B-29迎撃のために必要だった日本海軍の本格迎撃機だったと思いますか?
特に、302空の雷電隊・352空の電光マーク・三三型J2M5のどれが一番印象に残ったかも、ぜひ教えてください。
十四試ですからね。本来なら昭和17〜18年には配備されてなきゃならない機体。
実践配備は19年末で、もう既に陳腐化し始めてたし、生産数は500機程度で戦局に寄与する事なく終わった。
結果的には零戦の改良や烈風開発の足を引っ張るだけになってしまってしまい無い方が良かった迄ある・・
似たような性能の陸軍の鐘馗が開戦前に完成したのに対してこいつの登場は1944年、生産機数も一桁少ない、開発時のゴタゴタを見ると機体の出来を別にしても大失敗としか言えない。
長崎の大村基地で思い出した事あります、今の海上自衛隊の大村基地は日本初の海上空港の向かいにありますね、今は確かシコルスキーのSH60JやSH60K配備されていると思いました。
軍用機、機種ナンボの単体で語られるけど
一機々々の個体差が大きかった様です。
雷電は 軸延長による振動
飛燕は 液漏れ
その他機種も 材質 加工精度悪化…
で アタリの機体は 優秀機。
大戦末期の高性能機 夢の試作機
乗りこなせる搭乗員は 陸海共 一握り。
長崎の大村に雷電の基地作られたのは福岡県の八幡製鐵所をB29から守る為に雷電の基地作られたのかな、長崎に投下された原爆の本来の投下地点は小倉への予定でした、でもB29が空襲に来ても他の地域よりB29の被害が多いからB29のボックスカー搭乗員が理由を付けてファットマン(原爆)の投下地点変更しました。
配備された南方でも、またビルマ戦線でも結果を出している以上、優秀な迎撃戦闘機だったといえる。
その性能を迎撃に特化させた以上、航続距離の短さは欠点ではない。
雷電エースとして有名なのは赤松貞明氏。雷電を駆ってある戦闘ではP51を二機撃墜。Wikipediaには「雷電はいい戦闘機だ。もう少し燃料が積めたらもっといいが」という赤松氏のセリフが載ってます。
でも同じ海軍エースの岩本徹三の戦記では「雷電はたしかに速いが運動性が悪くて好きじゃない」みたいな感想が載ってます。人の好みで評価も変わるんでしょう。