江戸のはじめ、今の吉祥寺のあたりは、萱(かや)の野原だったと言われます。南の井の頭池は、江戸の水道・神田上水の水源でした。
明暦3年(1657)の大火で、本郷にあった寺「吉祥寺」の門前町が焼け、家を失った人たちがこの武蔵野へ移って畑を開きました。村の名は、もとの町の寺の名から「吉祥寺」。土地は五日市街道をはさんで細長い短冊形に分けられ、今も道や土地の形に残っています。
明治32年(1899)に駅ができ、大正6年(1917)に井の頭恩賜公園が開園。関東大震災のあと都心から人が移り住み、戦後の駅前の闇市はハモニカ横丁になりました。昭和46年(1971)と49年(1974)には百貨店が建ち、にぎわう町に。それでも池のまわりは、今も森です。
※映像は、資料をもとに3DとAIで描いた再現イメージです。建物の形や移住・開墾の様子は推定です。
■参考資料
・武蔵野市「MUSASHINO HISTORY 吉祥寺と西久保」
・武蔵野市 都市計画マスタープラン(短冊形の地割り)
・コトバンク「吉祥寺」
・三鷹市(井の頭恩賜公園)
・三菱地所ハウスネット 住まいリレー(井の頭恩賜公園・ハモニカ横丁)
・三井住友トラスト不動産「このまちアーカイブス 吉祥寺」
・地形:国土地理院 標高タイル、地図:© OpenStreetMap contributors
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鉄道が敷かれた当時は五日市街道沿いに駅を作りたかったけど、汽車の煤煙で火事になるのを恐れた住民が猛反対して頓挫。
そこに月窓寺の当時の住職が敷地を提供して吉祥寺駅を作ることができた。
なので月窓寺から駅にかけての土地は今でも月窓寺のものであり、ハモニカ横丁も月窓寺が大家。
鉄道敷かれた当時の住職の英断とはいえ、今現在の吉祥寺の巨大利権を月窓寺が握っているというのもなかなかな話
吉祥寺駅前の一等地に自宅がある先生が1972年(昭和47年)2月19日から2月28日にかけて、長野県軽井沢町の保養所「あさま山荘」で新左翼組織「連合赤軍」のメンバー5人が管理人妻を人質にとって起こした立てこもり事件の際に、自宅を建設していたそうで、大工さんがTVで事件を見てたよ…「あの頃は周りは草っ原だったよ…」と笑って話してくれたことをしみじみ思う。